NHKノB'z特集

NHKスペシャルで放送されtB'zの映像を見て】

B'z基礎情報
※敬称略
ボーカル&全作詞担当:稲葉
ギター&全作曲担当:松本


本日のNHKスペシャルでB'zが特集された。
録画しておくべきだった。
十分社員教育として使えるレベル。
早く帰って家で見たが、見て正解だった。
思わず見ながら、ノートにメモを取ってしまった。


B'zは今までの20年間で7000万枚以上のCD売上を果たしている。
計算すると1日に1万枚以上売れているのだそう。
そんなレベルの彼らを裏打ちさせる根拠が今回の映像に映っていた。

音楽に対する・徹する姿勢が違いすぎる。

松本はライブ前のリハーサル期間に
ホテルの部屋にこもり、一人で8時間以上ギターの練習をする。
その日の昼飯はカップ麺。昼飯を食べる時間ももったいないという思い。

また作曲では、ある曲のわずか2小節、約5秒間のギターソロを完成させるのに1ヶ月以上かかる。
とことんこだわる。自分の納得がいくフレーズができるまで考え、弾き続ける。
故に1ヶ月前に録ったメロディーとその後に録ったメロディーは全く違う。
そこで彼が言った一言。
「細かいニュアンスの違い。聞いている人は違いはわからないかもしれないけど、自分が納得いくものを出せば、”製品”として問題ないと思う」。


一方で稲葉は、
約3時間のライブでは、歌い、そして走り続けるため、それに向けてトレーニングで自らの身体を鍛え上げる。
喉にも気を使う。必ず部屋の湿度は50%以上に保ち、夏でもエアコンはつけず、氷水も飲まない。
松本に言わせると、稲葉は「B'zのボーカルとしての自覚が強い」「ストイック」である。
この”自覚”という言葉がとても引っかかった。

松本はこう言っていた。
売れて何が良かったかって、「自分たちの音楽環境に投資ができるようになったことだ」と。
スタジオや設備、楽器に機材。それらを充実させていくことで、音楽に没頭できるようになった。
NHもよく言っているが、これは自分たちにも言えることである。
会社として利益を上げることで、それを原資にいろんな形で人材に、環境に投資をしていく。
人材が伸び、利益も上がる。それでプラスのスパイラルが、B’z同様に起こっていくのである。


また、自分が以前から思っていた「B'zに見るアウトソーシング論」に関しても
触れられていた。

B'zは正式なメンバーとしてはギターの松本とボーカルの稲葉の二人である。
後のドラム、キーボード、ベースなどは全てプロのサポートメンバーである。

B'zが演奏するジャンルは幅広い。
基本はハードロックではあるが、ダンス調の曲もあるし、ポップな曲もある。バラードも評価が高い。
その幅の広さを可能にしているのが、サポートメンバーである。あるジャンルに固執せずに、柔軟に曲を演奏することができる。
彼らはさらに英語も話せるので、外国人メンバーとも組め、アメリカ的なロックもできる。
「ギリギリchop」という楽曲があるが
アルバムではベースとドラムを外国人が演奏したものが収録されており、シングルでは両方を日本人で演奏したものが収録されている。
結果は全く違うのである。こういうところがまた面白い。

B'zは大体3年ぐらいで何人かのサポートメンバーが変わる。それに応じて、楽曲も変わるのである。
ただ、「曲」と「歌詞」という、軸になる部分は彼ら2人がいることによって絶対にぶれない。
MSPでいう、「CI」のようなものであろう。最もクリエイティブな部分は絶対に自分で手がける。
サポートメンバーに当たるのは今はJWやアクロシード。しかし、会社のフェースによって利用するサポートメンバー=協力してオラウ企業は変わってくる可能性が大きい。
だからこそ会社としての重要な部分は守り&深めながらも、柔軟性は保つことができるようになるのではないかと思う。
こういう所にも、我々が目指すような組織の1面が見える。


また、初めてこの映像を見て知ったが、
B'zの二人の間で大事にしている風土としては
「とりあえずやってみる」
ということだそう。
もちろん曲に関するアイディアでぶつかることは多々ある。
しかし、最初から「それはないよ」とはねるのではなく、「とりあえずやってみる」のだそうだ。
そのようにしてやってみて良かったことはたくさんあるし、そこからヒット曲につながったこともたくさんあるそう。

これはMSPとしても、既にその文化はできてきていると思うが、大事にするべき姿勢であると思う。
(だから今自分はこんな長々とB'zに関して”とりあえず”書いている笑)


ライブDVDはたくさん見たが、
これだけ彼らの考えがさらけ出されているインタビューが映っている映像は初めてみた。
故に彼らの音楽に対する姿勢に尊敬の念を覚えたし、ますます好きになった。

小学校4年ぐらいから自分はB'zを好きなので、もう14年くらいB'zを聴き続けている。
今回、何故自分がそんなに長いことB'zが好きなのか、その理由がなんとなくわかった気がする。

メロディーやアレンジが好きなのは当然であるが、
自分はそれらの楽曲の中に彼らの”哲学”を感じていたのかもしれない。
意識して感じていた訳ではない。しかしどこか感じ取れるレベルというか。
細部にまでこだわった結果としての1曲の数々。
そこに、感覚的に魅力を感じているのだ。

ストレス

晩飯を食べる前にストレス発散の仕方の話になったので、少し考えてみた。自分はどうやってストレスを発散しているのかと
「ストレス」という言葉は逃げ道になるため(=何でもストレスを感じていると思い込んでしまう恐れがあるため)あまり考えないようにはしているが。笑

発散の仕方に関して上位に来るのは、友達と遊んだり飲んだりしたりすることではなく、
間違いなく「MSP社員といろいろな話をすること」、が上位に上がると思う。
正直、社員と雑談やら会社の方針やらを話したり掲示板で議論するのは自分にとってかなり面白い。普通に面白いのではなく、知的好奇心を刺激されるというかなんと言うか。「わくわくする」というのが適切な表現かもしれない。
同じ環境、同じベクトルを持って、同じ組織で、同じように高い目標を掲げて必死に働いているからだろうか。
この環境が自分に対してストレスを与えるのかもしれないが、同時にストレスを発散している環境でもあるという、なんとも逆説的な答えにたどり着きました。笑

『悩む力』

【悩む力】

夜11:30過ぎ、また明日から仕事なので寝ようと思い、布団に入り

NHより勧められた『悩む力』を読んでいました。

なかなか使われている単語が難解かつ哲学的なものが含まれているため読むのに時間がかかりますが、

非常に興味深い箇所が出てきました。「青春」に関して書かれている。

この箇所を読んで、寝る気満々だった自分の脳が活性化してしまいました・・・(明日からまた仕事なのに・・・)。で、どうも寝れそうにないので、今これを書いてます(笑)。

ちょっと長いですが以下抜粋

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 私が大学に入り教養科目の自然科学概論の最初の授業に出た時、こんなことがありました。出席を取った後、教授が「もう授業には出てこなくていい。一年間家にこもって考えてこい」と言ったのです。

 これを思い出す度、私はちょっと愉快な気分になります。人生にはそういう時間があってもいいのではないでしょうか.本を読むんもいいし、一人で悶々と悩むのもいい。それはかなり意味があることなのではないでしょうか。



 自分が生きている意味を考えたり、人間とは何かを考えたり、人とつながる方法を本気で考えたり、自分と世界の関係を考えてみたりする。実務的な問題解決を第一とし、万事を淡白にやり過ごしている人は、「そんなことをマジでやるのは馬鹿馬鹿しい。時間の無駄だ。それこそ意味がない」と言うでしょう。しかし、そんな風に生きていたら、多分、最終的にはもっと大きな孤独を抱えることになります。



 他人とは浅く無難につながり、できるだけリスクを抱え込まないようにする、世の中で起きていることにはあまりとらわれず、何事にもこだわりのないように行動する、そんな「要領のいい」若さは、情念のようなものが予め切り落とされた、あるいは最初から脱色されている青春ではないでしょうか。

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読書を始めた大学3年の夏前あたりから自分がしていたことは、まさしく上記のような「青春」のようなものでした。

きっかけとしては「就活」という単語が頭によぎり、これから社会に出ようとしているのに、何も社会のことを、日本・世界のことを知らないという漠然とした不安から、本に答えのヒントを求めようとしたのだと思います。

(ちなみに最初に衝撃を受けた本は大前研一氏の『日本の真実』。HTが朝礼で紹介した『ハイコンセプト』の前書きを読んで氏に強く興味を持った)

また、それは学生最後の約1ヶ月半のヨーロッパの旅も同じようなものでした。

周りからは「卒業旅行」と言われますが、自分の中ではあまりその言葉はしっくり来ません。

なぜなら、「考え」に行ったからです。学生最後に、とことんいろんなことを考えたかったのです。

では自分にとって「旅」の定義とは何なのか・・・。

「環境を変え、そこから刺激を受け、思考を深める」というのでしょうか。だからこそ「一人旅」である必要がありました。友達と行ったのでは、自分と向き合うことから逃げてしまうから。

確かにたくさんの国・土地に行き、たくさんのものを見て、写真を数千枚撮りはしましたが、それ以上に自分としてはたくさんの刺激を受け、たくさんのことを考えたことが収穫でした。

『悩む力』の著者はこうも言っていました。

「青春というのは年齢ではないのではないか」。

納得。

その点から言えば、MSPは絶好の「青春」の場でしょう。

いつまでも「青春」を忘れないでいたいものです。

『7つの習慣』を読んで

『7つの習慣』を読んで、5年以上経った今、高校バスケ部時代の経験からやっと学んだこと。

「ビジョンの欠如」=「努力の方向性の欠如」

高校の部活時代、
キャプテンでありながらレギュラーでない、という屈辱。
チームは兵庫県内の”公立”高校の中では、もっとも強い部類に入っていた。私立をあわせるとベスト8〜16くらい。

精神的にも相当追い込まれていた。
絶対誰よりも練習しようと、毎朝朝練に行き、授業後の部活では誰よりも遅くまでのこって居残り練習。
(ほとんど部員と一緒に帰ったことがなかった)
帰宅後は、友達を呼び出して一緒にランニング。勉強そっちのけで、ひたすらバスケに没頭した。
何よりも「レギュラーになりたかった」から。プライドもあったのだと思う。
「自分はこんなもんじゃない」「キャプテンでレギュラーじゃないなどかっこわるすぎる」。

結果、最後までレギュラーになれなかった。

最後の試合、明らかに負けが決まった最後の数分、試合に出た。

いわゆる「記念」である。

しかし、その数分、試合に出ている間から涙が出ていた。
必死に頑張った時間が終わるから。
あの感覚は忘れることができない。終わって行く感覚。

でもこの本を読んで、そのときの自分に欠けていたものに気づくことができた。
いや、気づいていたのかもしれないが、認めたくなかったのかも。
そのときは、今の自分でも考えられないくらいに必死だったから。
キャプテンになってから引退までの約1年間、相当辛かっただけに、
「良い思い出」として美化しておきたかったのだろう。

そのときの欠けていた物

それが「努力の方向性」である。

自分のポジションは背が小さいこともあり、ポイントガードだった。
簡単に言えば、ゲームを組み立てる役割である。

「どんなポイントガードになりたいのか?」

という“明確な指標”が欠けていたのである。
確かにレギュラーとしてコートに経ちたかった。しかし「どんなガードとして」が明らかに欠如していた。
ミスの少ない安定したガードなのか、点が取れるガードなのか、またはアシストで味方のゴールを演出するガードなのか、ディフェンスで相手のガードの動きを封じ込めるガードなのか。

正直、自分は「全部備えたガード」になりたかったのだろう。まさに完璧なプレイヤーに。
だからこそ、方向性が欠如していた。そして「捨てる」ことができていなかった。
例えば「点が取れるガード」を目指すなら、

シュート練習を軸として練習を組み立てて行けばいいのである。
しかし当時の自分は何もかも欲張り過ぎて、一つ一つの練習の質が低かったように思う。
全く計画性がなかったのである。若干悲観的な言い方をすれば、「ただ練習しているだけ」であったのではないか。
また上記に加え、「“今のチームには”どんなガードが必要なのか」という視点も欠けていた。

独りよがりだったのである。そういった意味ではチームのことが考えられていなかった。

確かに、レギュラーでないので、裏方の主将としてはしっかりと意識して動いてはいた。
しかし、肝心のゲームではそれができていなかった。でも当時はそれが自分の限界であったのだと思う。
精神的にも自分で追い込んでいて、ある意味余裕がなかった。必死すぎた。

しかし、それから6年経った今、その大きな失敗から学ぶことができた。

ただ単に焦ってがむしゃらに働いてるだけではなく、

「努力の方向性」

これを常に意識して働きたい。
そのためには明確な目標が必要だ。

今年はヨーロッパ事務所設立。

早すぎるのはわかっているが、食らいついていきたい。

読書は様々な視点を与えてくれる。
こういった新たな視点を得ることが「成長」とでも言うのだろうか。
いろんな経験をしている方が、本から得られることが多いような気がする。

B'zのライブ

行ってきましたB’zのライブ。少し遅れて最初の2曲は間に合いませんでしたが、全く問題なかったです。
今回は、アルバムツアーでもあるのですが、かなり懐かしい曲も演奏していて・・・・来てよかったという感じです。笑
特に感動したのが最後の曲「ミエナイチカラ〜INVISIBLE ONE〜」。

これは自分のB’zの中で一番!好きな曲でして(あまり有名ではない曲)・・・過去に3回ライブに行ってはいますが、一度も生で聞いたことがなく、ほとんどライブでも演奏されていない曲でした。そんな曲が聴けるとは・・・
この曲は非常に思い出深い曲でありまして、自分が小学6年になるのと同時に大分県日田市から神戸へ引っ越す時、ちょうど発売された曲でして、別府から神戸へ向かうフェリーの中で泣きながらずっとミエナイチカラを聴いてました。自分の一つの人生のターニングポイントであった時にずっと聴いていた曲ですんで、生で聴きながら当時を思い出してました。
まぁ誰も興味はないと思うのですが、個人的にこの曲の歌詞が好きなので、載せてみます。

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夢ならあるはずだ あなたにも僕にでも
見つかりにくいだけだ 忙しすぎて

ミエナイチカラが僕を今動かしている
その気になればいいよ 未来はそんなには暗くない
We'll be alright,good luck,my friends.
愛する友の言葉を 僕は忘れない

一体どんな言葉だった 本当に言いたかったのは?
いくら舌打ちしても 戻らない日々よ

ユルギナイチカラが あなたに今囁いている
“IT'S OK BABY” 怖くないよ 誰かを愛して生きること
何故に 気持ちは
ずっと後にならなけりゃ伝わらない

ミエナイチカラで だれもが強く繋がっている
何も大したことじゃないよ そばにいても離れていても
昨日 今日 明日と
笑顔のあなたはいつでも この胸にいるよ

ミエナイチカラよ輝け
You've got to be strong
It's never too late
I never say die
ユルギナイチカラよ僕を満たせ
You've got to be strong
It's never too late
I never say die

                                                                                                    • -

ミエナイチカラって人によってそれぞれあるのかなと思います。原動力みたいなモノ。それが夢であったり、友情、愛、プライド、金、はたまたコンプレックスなど。自分は何があてはまるのかと考えると、う〜む・・・「志」でしょうか。抽象的ですので、この言葉が適切かどうかはわかりませんが、自分の中で一番大事にしているのは「志」かなとおもってます。

「ミエナイチカラで誰もが強くつながっている」という一節を会社という組織に置き換えて考えると、経営理念であったり、共通の目標であったりするのかなと思います。そういった視点では、「ミエナイチカラで強くつながること」が理想の会社を作って行くための1つの大きな必要条件なのかもしれません。

先輩の死

高校のバスケ部で一緒だった、1つ学年が上の先輩が昨日亡くなった。
バスケをしている最中に急に心肺停止となったらしい。

同じ部員として、2年間お世話になった。同じボールを追いかけていた。
本当に残念だ。


今日、訃報のメールが同期の部員から突然送られてきた。
その瞬間、北須磨高校の時の写真を掘り返した。たくさんはなかったが、そのときの先輩がいた。

もうあれから6年ほど経っている。

北須磨バスケ部での経験が今の自分の人格形成に大きく関与しているだけに、

なんというか、よくわからない感覚だ。

亡くなるのが早すぎる。自分より一歳年上だから、今年26歳。

未だにバスケを続けているということは、本当にバスケが好きだったという証拠に違いない。
そのバスケをしている最中に亡くなってしまった。

残酷だ。

代でめちゃめちゃ仲が良かった、先輩たちの代は、本当にショックだろう。

自分も、自分の代の誰かがもし亡くなったとしたら、本当に耐えられない気持ちになる。


この事実が示すことは、自分もいつ死ぬかわからないということである。


たぶん先輩は身体に全く異常がなかったはずだ。

そんな健康な人が、突然、急に、帰らない人となってしまう・・・。

やはり自分も、常に死と隣り合わせにいるということを意識しなければならない。

もしかしたら、明日死ぬことだってあり得る。

それを受けて、何を考えるか。

まずは

■ 自分の身体に気を配る。健康に気をつける。

これは当たり前すぎること。

今の自分は、自分の身体をなめ過ぎているかもしれない。

どこかで、「自分の身体は大丈夫だ」という思いを強く持っている。
はたしてそうだろうか。うぬぼれではないだろうか。
もっとよく考えなければならない。


■ 一日一日を精一杯生きる。

いつ死んでもいいように、と考えるのはこの年ではおかしいのかもしれない。

しかし、一日一日をやりきることで、自分のその瞬間までの人生は完結し、次につながる。
過去を悔やんでなどいられない。後悔などしていられない。
重要なのはその後の行動だ。

カーネギーの名著『道は開ける』にはこう書いてある。

「自分のことより大きな問題に無我夢中で、憎んでいるヒマなどなかった。私には他人と論争する時間も、後悔する時間もない。また、どんな人の力を持ったとしても私に屈辱感を与え、憎悪を植え付けることはできない。」

1分1秒たりとも無駄にできない。


■ 常に「感謝」の心を忘れない。

「感謝」は忘れやすい物だ。

まず、自分が生きていること、周りに生かしてもらっていること、健康な身体を与えてくれた親に感謝する。

初心

以下、自分の大学のゼミの卒業文集のようなものに載せた記事。言うなれば初心。

<自分の中に強く根付いている言葉>
「流行にのるな」 by 中学の部活の先輩
仲の良かった先輩と神戸・三宮に服を買いに行ったときに言われた言葉。何故かとても頭に残っている。
当初は感じなかったが、今思えばこの短い言葉は、実はとても奥が深いものなのではないだろうか。
「流行にのるな」→「周りに流されるな」→「自分をしっかり持て」と今は解釈している。この影響もあるのかどうかはわからないが、
周りを気にせず今まで何でも自分で決めてきた。大学では、楽をしようとする周りの流れに逆らい、危険な有馬ゼミを選び(笑)、
危ないと言われながら初めて海外はヨーロッパを2週間一人で放浪し、4年時に語学留学の国を決める際は、
メジャーな国に行きたくなくてフィリピンに行ってみたり。しかし、これら振り返っただけでも、全て自分にとって大きなプラスとなっている。



「選択肢に迷った時は、困難だと思う方を選びなさい。そうすれば、得られるものも大きいから。決して楽な方を選んではいけない。」 by ウチのオトン

2年の11月ぐらい。リクルーティング真っ最中。ゼミを本気で辞めようと思った。同期には伝えた。先輩にも相談した。理由としては、実家の急な状況の変化だった。それは自分でもどうしようもないものだった。迷った。本当に迷った。14期のえりさん、アヤコさん、ハルさんは自分の家まで来てくれて朝まで話を聞いてくれた。そしてオトンが最後の東京出張に来た際、池袋マルイ前のエクセルシオールで直接話をした。その時にオトン自身の体験談からこの言葉が出てきた。そして「ウチのことは心配するな。だから、お前が自分で選べ」と言われた。それからは吹っ切れた。今思うと、リクルーティングがどうにもいかなすぎて逃げたかったという思いもあったのだと思う。95%以上辞めようと思っていたのに、よく立ち直ったと思う。いろんなこともあったが、今本当に思うのは、「有馬ゼミに入ってよかった、有馬ゼミを続けてよかった」ということ。




「“弱さ”とは己の進んだ道に責任を持てないこと。その道の上で何が起ころうとも、望むところだという気でいなければいけない。」 byなんかの漫画