北方謙三

本日の日経新聞にあった北方謙三の記事を読み、素直に感動してしまった。
以下抜粋。

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私と読書」 by北方謙三

邪念のない読書は、心の中に街を作ってくれる。
心の街は、本を読むだびに広がっていく。最初は、同じような本ばかりで、似たような団地が立ち並ぶだけの街かもしれない。一軒家かもしれない。それでもいい。それでも続ける。次第に道ができ、カフェや花屋が建ち並ぶ。心の中の街で、いつしか豊かな生活が営まれていく。
心の中に「アナザーワールド」を作るということだ。底が自分のよりどころとなる。心の中野町が、あなたの「人間の力」を大きくしてくれる。
では何を読むか。情報だけのビジネス書を読むことを、僕は読書とは思わない。これは勉強だ。読書とは、想像力を刺激する行為だ。読む人次第で、ほんの価値は変わる。想像を膨らませることで、あなたの街も豊かになっていく。これが人間の大きさだ。少なくとも僕は、面白い街を作っている人間とつきあいたい。

本を読むということは自分と向き合うことでもある。そして小説は、人間の影に光を当ててくれるのだと、僕は思う。
たかが本、されど本。これでいいじゃないか。

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自分はまだ読書歴が浅い。大学3年くらいから読み始めたので、まだ3年目くらいか。恥ずかしながら北方謙三という名前は知っていても本は読んだことがない。しかし上記の記事を読み、非常に興味を持った。ようやく自分も三国志を読む時期がやってきたのかもしれない。

特に印象に残ったのは下記の部分

「心の街は、本を読むたびに広がっていく。」

自分の頭の中にあったイメージが具現化されたような感覚だ。
時々(今もそうだが)無性に心をふるわせてくれるような書物を読みたくなる。それが昔は世界経済の本であったり、哲学のような本であった。世界経済を少しずつ理解することに興奮し、哲学的な考え方に触れることで自分と深く語り合う。そんな感覚に心がふるわされていた。サンドバックのように心がふるわされることで、自分が大きくなるような気がしていたのかもしれない。しかし最近はそれは一種の逃避なのではないかとも思った。
そういったことを欲しているにもかかわらず、今まで何故か小説は避けていた。自分の正確からして、必要以上に感情移入しすぎることを恐れていたのだろうか。心では欲しているにもかかわらず。


しかし今日の記事を読んで、北方謙三に非常に興味がわいた。彼の本を読んでみようと思う。まずは三国志からか。それとも史記からか。