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「時を待つ心」 松下幸之助
時を待つ心は、春を待つ桜の姿と言えよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力を蓄えている。
蓄えられた力がなければ、時が来てもことは成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つが良い。
大自然の恵みを心から信じ、時が来るのを信じて、着々と我が力を蓄えるが良い。
着々と我が力を蓄える人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
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今GEM案件が変な状況になり、オランダ支店もしょっぱなからトラブルで登記した後に色々と問題が見つかってきている。
やっと見つけたElmetも、すぐには商売が出来そうもない。
結局は自分の責任で、自分でどうにかするしかない。
気持ち的にはけっこうへこんだ期間であった。
偶然TVで放送していたこともあって、松下幸之助の本を読んでみた。
何か気持ちが安らぐのではないかといういわば現実逃避の気持ちもあった。
そこで見つけたのが上の言葉。
待ってられないというのが正直な心情だ。
でも、
結果が出ない→焦ってとりあえずがむしゃらにやる→地に足の着かない時間の過ごし方・仕事の仕方→結果が出ない
こういった負のスパイラルに陥りかねない、というか陥っている。
わかっていながらそのスパイラルにハマっているような気がする。
この流れを断ち切らなければならない。いや、断ち切る。
高校時代の部活の時の感情がよみがえる。
いくら練習しても、どんなにあがいてみても、レギュラーにはなれなかった。試合には出れなかった。蚊帳の外だった。
あのどうしようもない惨めな感覚が自分を襲ってきている。そして同じような結果になるのではないかと思ってしまっている。
絶対あのような状態になりたくない。繰り返してしまったら、あの時と何も変わってないのだ。
あの時足りなかったものは、努力の方向性の欠如だと思っている。
ただがむしゃらにやるだけではダメなのだ。目的地をしっかりと意識しなければ。
結果はすぐにでも欲しい。しかし、そううまくはいかない。
だからこそ力を蓄える。上で言われている「力」とは何なのか。
自分は基礎なのではないかと感じている。
先日、パナソニックの会社名変更に伴う口座番号・部署名等の連絡がパナソニックの藤井さんから連絡があった。
メールに加えて丁寧に電話でも。
「メール&電話」という、たったこれだけの行動かもしれない。
しかし自分は「丁寧だな。さすがだな。」と思ってしまった。自分ですらそう思うのだから他社の人間はもっと思っているのではないか。こういった小さい行動一つから信頼・ブランドというものは生まれるのではないか。
そしてその小さな行動一つ一つが、自分にはまだまだ足りないものであり、パナソニック社との差、藤井さんとの差であると思う。
表面から見れば小さな差かもしれない。
しかしよく考えてみるとビジネスパーソンとしての基礎の差の違いであり、時間が経つことによってより大きいものになると思う。
今、自分はその小さいが大きな差を見つめなおすべきなのではないか。
それこそが力を蓄えていくことなのではないか。
社会人になってもう一年経ってしまった。
普通では得られなかったことも多く得たかもしれないが、得るべきものを得ていないといったことも多くある気がする。
しかも社会人としての基礎の部分で。
今更基礎というのは遅すぎるのかもしれない。しかし遅れてしまっている自分をしっかりと受け入れ、もう一度初心に戻ってやるべきな時期なのかもしれない。