小説

完全に北方謙三にはまった。
そして小説にはまりつつある。

3月末ぐらいか、沼ちゃんに『三国志』全13巻、『楊家将』上下巻を借り、昨日全て読み終わった。
楊家将の続編とあったので、『血涙』も読もうと思う。

レッドクリフも見に行ったが(最初は全く興味がなくレッドクリフ三国志赤壁の戦いを描いているということも知らなかったし、赤壁の戦いが何であるかも知らなかった)、
大きな物語の一部分を切り抜いているだけあって、
自分が感じた三国志の魅力はあまり映画には現れておらず、個人的にはあんまりであった。


三国志劉備等の各武将・将軍が亡くなる度に涙が出そうになったが、
楊家将の最後、楊業が亡くなったときは、本当に涙が出てしまった。

映画やドラマ等を見て泣くのは度々あるが(かなり涙腺弱い方なので)、
本を読んで泣いたのは記憶にない・・・人生で初の可能性大である。


小説の内容が良いからか、自分の個人的な性格の問題かはわからないが、
かなり物語に引き込まれる。その世界を眺めているような気分に度々陥る
(素人のくせに言い過ぎか)。


通勤時に三国志を読んでいて、
ちょうど長坂の戦い(?)で張飛が懸命に戦っている場面、
熱中しすぎて気付いたら降りる駅で、危うく降り損ねそうになったりした。
行き帰りの電車で読む三国志が日々の楽しみにもなった。


NHに以前から小説と韓国ドラマを勧められていた。
感性が豊かになると。
はまりすぎる懸念があったため、どこかで避けていた。

三国志を読み始めたきっかけとしてはGEMであったが
(最も今ではGEMを訪れる機会はないかもしれないが)、
予想通り(?)小説にはまってしまったようである。

小説でこれなので、韓国ドラマはかなり危険であろう・・・。
話を聞いた感じでは、泣きすぎる可能性大。


世の中は読書ブームで、速読とかフォトリーディングとかもはやっている。
その中で小説の重要性を説かれることはあまりないように思う。
そして自分も小説が自分にどのように影響するかもよくわからない
(読み始めたばかりだから当たり前か)。
5年とか10年経つとその影響がようやく分析できるようになるのかなとも思っている。

まぁ速読とかといったような言葉に流され本を読むよりも、
その時の自分が読みたい本を自分のスタイルで読むのも悪くはないのではないかと思う。
その時の置かれている環境・精神状態によって読みたい本というのは変わると自分は思うため。


小説にもはまり始めて、改めて思うのが、


「何故もっと前から本を読まなかったのか」ということ。


まぁ過ぎてしてしまったことを言っても仕方がないが、
小説に限らず、様々な本を通して様々な世界を体験できる感じがする。
それを何故もっと早くからやってこなかったのか・・・。


恥ずかしながら、
実際に本を読み始めたのは大学3年の夏からである。
忙しいゼミが一段落し、就職活動という単語が頭の中に意識され始めたころ、
ふと自分は、自分がいる社会・経済のことを何も知らないと思い、
おもむろにそれらに関係する本を読み始めた。
それがきっかけ。

頭の中に漠然とあった社会に対する不安が、
パズルを当てはめるように明確になっていくような
なんともいえない感じを味わった。(それでも理解したというわけでは到底ない)

そこから本を読み始めた。
言ってみれば、身体が本を欲したのかもしれない。
その欲が出てくるまでに自分は22年くらいかかったということか。
少し時間がかかりすぎた・・・。


しかし、読書とは着想のきっかけにもなったりするが、
一種の現実逃避でもあるということを、自分は肝に銘じておかなければ行けないと思っている。