ART OF LIFE

先日、ふと思い立ってYoutubeで「X JAPAN」と検索してみました。
すると先週行われた再結成LIVEの映像がほとんどアップされてました。

昔ギターをやっていたときは、よくX JAPANの曲とかをコピーしていたので、懐かしくなりました。

しかし、妙に気になったのがこの、この表題にもある「ART OF LIFE」という文字。
X JAPANの曲のタイトルなのですが、自分はそこまで熱狂的なファンでもないので、この曲を知りませんでした。
特に曲の中身がどうとか言うつもりはないのですが、

これってどう訳すんでしょう。

「生命の芸術」?????
大学受験的に「この"of"は同格の"of"で〜〜・・・」とか考えても見ました。笑


自分なりに「人生という芸術」と訳して考え(合っているかどうかはあまり重要ではなく)、
このフレーズから自分の思考が広がりました・・・。


「なるほどな・・・」と。


自分は生涯をかけて「人生という芸術」を作成しているのだと。
人それぞれの人生の歩み方自体が芸術なのだと。

この前、社長が芸術に興味があると言ってました。
絵画とかは、その画家の人生が表れているような気がする。それを見るのが面白いと。

今、何となくわかる気がします。
画家は自分の人生を、1つのキャンパスに表しているのだと。


そう考えると、画家じゃない自分は、キャンパスという土台に描くのではなく
人生に、実際の行動によって生涯を通して「自分の生き様」という芸術を描いていくということなのか・・・

とすると、人は皆芸術家なのだろうか・・・。


そう考えると、自分がこの会社を選んだ理由もまたおもしろくなる。
いろいろ理由があった中に、「人生を必死で生きてみたかったから」というのも理由の一つである。

今思えばそういう人生を描きたかったのかもしれない。

インテルジャパンCEOの傳田信行(でんだのぶゆき)氏は目の前でこう言った。

「20代の生き方が、30代の生き方に大きく影響する」と。

自分はこれを信じています。

会社でのこれからの経験が
自分が30代になったときに素晴らしい影響をもたらすことを信じながら、
必死に働きます。

心を揺さぶられた葬儀

親友である、今楽天に勤めている高校部活時代からの仲間の母親が亡くなった。
58歳だった。自分の母親の1歳下だ。

先週から様態が悪化したとは聞いていたが
木曜に急に連絡が入り、金曜の午後から休みをもらって
お通夜、葬儀に出席してきた。

友人の母親ということで、決して参加する必要はなかったのかもしれない。
しかし高校時代何度かお世話になったことがあるし、
何より彼を励ましてあげたかった。
当時の部活仲間はどうしても予定を変更できなかった一人を除いて全員集まった。

式は、
失礼な表現に当たるかもしれないのだが、
非常にユニークな葬儀であった。

それは、無宗派による音楽葬。
葬式にはお坊さんなど一切来ず、音楽演奏がメインであった。

故人は音楽が大好きで、昔エレクトーンの講師をやっていた。
参列者は必然的に音楽関係の人が多くなり、親しかった人たちが
エレクトーンやらピアノやらで、音楽によるメッセージを故人に対して送っていた。
どれもが暖かいものだった。

非常に印象に残ったことが、
故人の中で「音楽」というものが人生の大きな軸であった点だ。
それゆえに、故人を知っている人には非常にしっくりと来た式だったのではないだろうか。
思わず考えてしまった。
「仮に自分の葬儀が行なわれる場合には、そんな軸となるものがあるのだろうか」と。
ふと浮かんだものは、自分が表現したもの=写真や文章などであった。
生きた証として、自分が見たもの・表現したものを最期に共有して欲しいと思った。


式が進む中で、死の背景が説明された。
ガンにかかり、一度は完治したかと思われたが、再発・転移し闘病生活を実に6年も送っていた。
最後は、選択肢が二つあったらしい。
少しでも回復を試みるために病院へ入院し引き続き闘病生活を続けるか、ホスピスと呼ばれる、いわば死を待つための最後の施設に入るか。そこで彼のお母さんは「もうこれ以上闘えない」との気持ちから、ホスピスを選んだ。

その選択をした日に書かれた手記、実質「絶筆」となるものが、喪主であるお父さんから、
参列者への最後の挨拶として紹介された。
その内容は、決して涙なしでは聞くことができないものであった。

病気にかかったことのあるものにしか分からない苦しみ、
普通に暮らせる・生活できることの幸せ、
病気に負けてしまうことに対する自分へのふがいなさ、
家族を残して先に逝ってしまうことの後悔の念、
そして家族への愛。

故人の親しい友人の方が挨拶の中で言っていた。
「6年も苦しい闘病生活を続けることができた理由、それは夫への、そして子供への愛だったのだ」と。

友人の母親ではあるのだが、「母」という人は改めて偉大だと思った。大きいなと思った。
「母」ではなく、「親」かもしれない。そして家族はすばらしいものだと。
経験した苦しみ、痛み、苦労、偉大さに比べたら、なんて自分はちっぽけなんだろうと。

友人は言っていた。
「自分には一切、苦しい一面を見せなかった。後悔ばかりだ。もっともっと親孝行をしたかったし、孫の顔も見せてあげたかった。」
泣きすぎてもう涙は出ないとは言っていたが、それにしても立派だった。


家に帰って話をしていると、ウチのオカンは言った
「でも、親にとって、子供は生きているだけで親孝行してくれてるのよ」と。
まさかオカンの口からこんな言葉が出るとは。
もうこれは親にしか分からない感覚なのだろう。


誰かが言っていた。

「あなたが無気力に生きた今日は、
昨日苦しんで亡くなっていた人たちが、
あれほど生きたいと願った明日」

上の言葉は、フィリピンに行く度にも強く感じる言葉。
改めて心に刻んだ。
精一杯、自分の生を全うしよう。

また明日から。
自分の人生を自分から盛り上げていくんだ。
そして、できたら周囲へそれを広げていきたい。

8.11.09

半年期限のフィリピン担当の件。

条件確認の為のMTG、ずるずるとできていないまま長引いている。
YNより「どうせ話おもしろくないからさっさとやってしまいましょうよ」といわれる。

まぁ自分の担当地域を奪われているので言いたくなる気持ちもわかるが、
完全に馬鹿にされているなこれは。

まぁできないだろうと思われているのだろう。


見てろよ。

絶対に奪ってやるし、フィリピンを収益源にしてやる。

フィリピン開拓できるの、自分しかいない。
もう後戻りはできない。

常陽の社長とセブの鈴木さん

フィリピンにいた時、語学学校最後の2週間ぐらいで60過ぎのおっちゃん(鈴木さん)が入ってきた。典型的なフィリピン好きの日本人って感じで、いろんな意味でフィリピンを愛している。自分の中での第一印象ははっきり言って全くよくなかった。短い時間しか一緒に過ごすことは出来なかったが、何かのきっかけで仲良くなり、数時間語り倒したことがあった。。
彼はある会社で百科事典を売って、販売数量で日本一を何回もとっていたそう。バリバリの営業。それで50才でリタイヤして日本に奥さんを残しつつ自由気ままな時間を過ごしていた。さすが日本一百科事典を売っただけあって、見た目からは想像できないほど話の中身が深く・鋭く、思わずメモを取っていた。その際のメモが以下(メモしたままなので表現がおかしい箇所もある)。今でも気持ちが沈んだときとかに読み返すようにしていて、読むたびにその時間を思いだす。彼とはもう会うことはないだろう。しかし、彼から教えてもらったことは、非常に大きなものであると思っている。

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・自分に自信を持つ=自分に負けない
・自分と違う人、自分より優れている人はたくさんいる。人と比較してもしょうがない。
・一日の半分は仕事に集中。残りの半分は自己研修。
・ゆとりを持つ。頑張り過ぎても疲れるだけ。
・絶対マイナス思考に考えない。プラス思考。
・絶対に嘘は言わない。人生において懺悔するような嘘は絶対言わない。
・自分に自信を持つ=精一杯生きてきたということ
・挫折を怖がってはいけない。自分の力ではどうにもならないこともある。そういうときこそポジティブに考えるべき。
・男はバカが必要。1〜10まで理詰めではダメ。
・人の心を読むのが大事。
・「いいな」と思わせるところを突く。
・人間は面白い=人の心理は面白い。人の心理を読んで、楽しむ。
・どんな状況も楽しむことが大事。楽しまなければ人生ではない。
・ちゃんと自己アピールすることが大事。→自信を持つことが大事。
・セールスとしては、相手のイメージをすることが大事。
・嫌なやつに会ったときに、自信を持ってどう対処するかが大事。
・自分に自信を持つとすべてが面白く見える。→何故自信を持てるのか。→どれだけ自分に対する努力をしたか。自分に負けずに、自分に言い訳せずに努力できるか。→丈夫な体があれば、何でもできる。努力もできる。
・生まれながらの環境は“負け”ではない。人と比較してもしょうがない。自分に負けなければ、人に負けたことにはならない。
・劣等感を持ってはいけない→だからこそ絶対に負けないものを持つ→丈夫な基本であり→その上に、向上心などが重なってくるのである。丈夫な体さえあれば何でもできる。・素直に、自分に自然に、力まずに自信を持つ。
・やられて当たり前。それに挫折しない。それを当てにすることが大事。やられて当然。
・自分に対する闘争心が大事。相手に対して闘争心を感じるのではない。
・自分がどれだけ言われても、人の悪口は絶対言わない。絶対それが自分に帰ってくる。
・世の中に出ての一番の武器は健康と自信である。
・「努力すればいい」という訳ではない。「努力の仕方」が重要なのである。
・“聞く”姿勢が大事。→「聞く」「質問する」ということは相手を喜ばせる、満足させることである。
・相手に嫌われたら終わり。一番大事なのは自分自身を売り込むこと。商品ではない。しかし商品には絶対の自信を持たなければならない。
・売る商品に自信を持つ = 商品に負けないということ
・すべては自信、自分である。
・誰にも負けないということは自分に負けないということ。
・負けないためには丈夫な体が必要。丈夫な体を与えてくれた親に感謝。

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今日再度読み直した。最も引っかかった部分が、

・売る商品に自信を持つ = 商品に負けないということ
・一番大事なのは自分自身を売り込むこと。商品ではない。しかし商品には絶対の自信を持たなければならない。


理由としては先日のKKと二人での常陽への訪問。
Moと思い込んでサンプルを持っていったら、Wでだったというお粗末な話。
Moと紹介されてNITONもあてずにMoと思い込んで持っていく自分もひどいが、
それ以上に全く自分は物を知らないということを思い知った。

しかも切断してみると、水銀まで出てくる始末。
「これこのままメーカー持って行ったら出入り禁止になってるよ」と言いつつも、
切断して中身を見せてくれさらにWとMoの見分け方等も、いつもの口調だが丁寧に教えてくれた。

言われたのが
「お前が実際に現場に行って、写真を撮って、サンプルまで持って来て、これいくらなので買ってくださいと熱意を持って言えば、買ってやるよ。でも今回みたいにとりあえずモノを持って来るというような形ではとてもじゃないが買えない」。

まさにその通りだ。自分は何か勘違いをしていたのかもしれない。
これこそ上記の「売る商品に自信を持つ = 商品に負けないということ」ではないのか。

今はあまりものを知らないのに、商品名だけが一人歩きしているような、机上の空論のような感じ。おそらくこれではたまたま商売がうまくいったとしても、先には続かない。

「商品に負けない」ためにも、もっともっとモノを見なければならない。もっと目を養いたい。 自分が扱う商品に自信を持ちたい。今の自分ではまだ土俵にすら上がれていないような雰囲気。今一番たくさん目にしているのはスラッジだろう。Ore, Concentrate, 合金系、etc, 仕事ということを抜きにして個人的にも興味を持っているし見てみたいと素直に思う。


常陽の社長、上述の鈴木さんもそうであるが、それぞれ歩んでいる分野は違えど、やはり結果を残してきた年長者の言うことというのは的を射ていると改めて感じる。

Louis Vuittonと村上隆

久しぶりの快晴で、ふらふらと原宿周辺から歩き始めた。

そこで、人生で初めて、Louis Vuittonに入った。
表参道店です。

ユニクロと無印の服を好んで着ている自分としてはかなり場違いな感じがした。笑
実際、あまりLVには興味はないのだが、あるものが目についた。

http://www.louisvuitton.com/web/flash/index.jsp;jsessionid=Y1ALL3KY1WWNGCRBXUXFAHYKEG4RAUPU?buy=1&langue=ja_JP&direct1=home_entry_jp

これである。

店内に村上隆の作品が飾られており、それに伴い内装も統一されていた。
カメラ持ってなかったし、撮影も不可らしく写真はないが、中々目立った内装である。


商品そっちのけで作品とか、デザインされた壁紙・内装を見ていたら、店員が話しかけてきた。
入り口付近に村上隆のデザインしたキャラクターの大きめなぬいぐるみが置いてあって、
「完全受注生産」と書いてあったので、いくらぐらいするのか聞いてみた所


「2,100万円」とのこと。

すげ・・・。


桁違う。


コバルト地金が5トン買える。。。


下の階に、より大きな作品があったので、
「あれが2,100万円なら、これは1億ぐらいするんですか」
と聞いてみた所、


「もう少しリーズナブルですよ」とのこと・・・・・・・いくらやねん。笑



ただ、入って良かったと思った。
村上隆の作品を見るのは雑誌とかではチェックしていたが、実物を見るのは初めてであったし、
実物を見ても、キャラクターもかわいいが、やはり色が素晴らしいと思った。


アートとかは詳しくないし、見方もよくわからない。
しかし、今日の村上隆の作品を見て思ったことは
アートとは「見る」のではなく「感じる」のではないかということ。

自分は今回の作品を見た後、気分が高揚した。
キレイな色使い、キャラクター。
思わず見入ってしまった。

感じるものだからこそ、人によって感じ方が違う・捉え方が違うからこそ、
「(現代)アートとは何か」という議論がしばしばされるのではないだろうか。

アートとは感情を揺さぶるもの。
これだと、抽象化し過ぎか。

三国志

三国志を読んで】


恥ずかしながら、この歳になって初めて三国志を読んだ。
北方謙三の方で、文庫本で全14巻。
ここまでの長編を読むのは初めてであり、また小説を読んだのも数年ぶりだ(最後に読んだのがいつかの記憶もない)。

きっかけとしては「レッドクリフ」というわけではなく
(最近までレッドクリフ赤壁の戦いを描いた映画だとは知らなかった・・・)
中国の取引先が三国志にゆかりの深い場所にあり、
ウチの社長も詳しく、度々話に出てくるので、薦められて&後輩から若干強引に全巻持たされ読み始めた。

すぐにはまった。笑
通勤中に読んでいて関羽が死んだときはショックで同僚に関羽が死んだと報告してみたり、
寝る前に読んでいて張飛が死んだときは眠れなくなり、
渋谷のマクドで読んでいて劉備が死んだときは隣の女子高生がいるにもかかわらず泣きそうになり
帰り道歩きながら読んでいて趙雲が死んだときは思わず立ち止まり何度も読み返し
朝飯食べながら読んでいて、最後に諸葛亮が死んだときは食べる気をなくした。


小説にもかかわらず、線を引きたい名言が多々有った(借り物なので出来なかったが)。

もっとも考えさせられたのが「人の魅力」に関して。

魏、呉、蜀の曹操孫権劉備それぞれの国を率いた人物。
それぞれに考えを持っており、それぞれを慕う人物がいる。

一概に、誰の考えが良いとかは言えないだろう。
個人的にはやはり劉備に惹かれてしまう。

結果的には天下統一という夢を果たすことが出来なかったが、
何故、劉備には関羽張飛趙雲諸葛亮等の名だたる人物が付いてきたのだろうか。
話の中では、最も巨大な勢力を率いていた魏の曹操でさえも劉備をうらやんでいる。

北方謙三の『三国志』中での
曹操孫権劉備の考えの違いとしては

曹操 : 自分を中心とした天下統一、人は自分に従うか否かの2種類
孫権 : 天下統一に必ずしも興味はなく、長江を中心とした呉の国さえ豊かになれば良い
劉備 : 自分は中心でなくても良く、漢王室を中心とした魏・呉・蜀関係なく真に民の平和を実現するための天下統一

である。
(うまく抽象化できていないのは自分でもわかってます。。)

劉備に上記のような将軍たちが魅力を感じたというのは
(名目上かもしれないが) もっとも民の事を考えた大儀=最も視野が広く、壮大な大儀を持っていたからではないだろうか。
自分中心の天下である曹操、自国さえ良ければと考える孫権、一方で国関係なく民の平和を考える劉備

そうした考え・信じているものの違いが、人の魅力につながるのではないかと思う。

故に、「人は見た目が9割」とか言ったりするが(実際そうかもしれないが)、
表面的なものでごまかしても、信じている確固とした考えがない限り、人は付いて来ないと思うし、真に魅力的な人であるとは言えないのではないかと思う。

親への感謝

【親への感謝】

GWに実家へ帰り、改めて感じた親への感謝。
60を超えていることもあり、会う度に老いていっているという印象も受ける。
父さんは血圧が上がってきているようだし、母さんもいつ病気になるかはわからない。
体調を崩す前に、早く親へ恩返しをしたい。特に二人に世界を見せてあげたい。

一番いいのは、自分がオランダに移り住み、オランダへヨーロッパへ招くことだと思っている。
オランダ移住が実現すれば、それなりの収入もあるだろう。

60を超えていることも有り、もう長いこと健康な状態ということもありえない。
5年以内に何かをしてあげたい。でないと、怪我とか病気が起こりそう。

一番の理想は、一刻も早く父さん母さんを楽にしてあげること。
生活がだれるので、仕事をしている、パートをしているという状態にしてあげることが一番だ。

もちろん、自分が一生懸命人生を生きるだけで、親孝行にはなっているのかもしれない。
しかし、それ以上のことを親にしてあげたい。生んでくれたから。絶対にこのままでは終わらせてあげたくない。
精神的にも充実した形で残りの人生を送ってもらいたい。